自分の話ばかりするのは承認欲求なのか
この記事は、周囲から見ている側に向けて書いています。
自分の話ばかりする人を見て、 「承認欲求が強いのだろう」と考えたことがある人は多いと思います。
この説明は、当たっている部分もあります。 ただ、そこで止めると起きることがあります。 ここではラベルのほうを検討します。
承認欲求という言葉の使われ方
もともとは、心理学の分野で使われてきた言葉です。
ただし日常で使われるときの意味は、 専門的な定義とは幅があります。 ネット上では特に、 批判の語として使われる場面が増えました。
- 「承認欲求こじらせてる」
- 「承認欲求モンスター」
いずれも、 説明というより評価を下すための言い回しです。 この使われ方が広まったことで、 言葉自体に「よくないもの」という色がついています。
匿名の場でこの手の呼び名が定着していく流れは 自分語り乙・金賞とは?ネットスラングとしての使われ方でも扱いました。
自分の話ばかりする人について、当たっている部分
認められたいという気持ちが働いている場面は、確かにあります。
分かりやすいのは、話の落ちが評価待ちになっているときです。
「あのとき自分が判断したから、うまくいったんだよね」
→ 返せる言葉が称賛しかない
このとき聞き手は感想を出す役に固定されます。 その負担のほうが、 実際には不満の中身になっていることが多くあります。
その説明で止めると、動けなくなる
問題は、承認欲求が当てはまりすぎることです。
認められたい気持ちは誰にでもあります。 それなら、なぜ同じ場にいる全員が 自分の話を始めないのかは説明できません。
そして実際の困りごとの側から見ると、 このラベルには次の副作用があります。
| ラベルを貼ると | 起きること |
|---|---|
| 相手を分類できる | 理解した気持ちになって、そこで止まる |
| 原因が相手の性質になる | 場の条件を変えるという発想が出てこない |
| 「治すべき人」に見える | 関係が固定され、こちらの消耗は減らない |
納得はできるのに、状況は何も変わりません。
話したくなる仕組みそのものは 自分語りしてしまう心理|なぜ話したくなるのかで扱っています。
ラベルを貼りたくなるのは、こちらに余裕がないから
ここは自分の側の話です。
「承認欲求が強い人だ」と名前をつけたくなるのは、 たいてい消耗が溜まっているときです。 説明がつけば、少し気持ちが片づくからです。
その気持ちは自然なものですが、 片づくのは気持ちだけで、時間の配分は変わりません。
変わるのは、次のような具体的なところです。
会う場所と時間の条件を変える
深掘りの質問をやめる
聞き役の仕事を減らす
まとめ
- 承認欲求はもともと心理学の言葉だが、日常では批判の語として使われている
- 落ちが評価待ちになっている場面には、当てはまる部分がある
- ただし当てはまりすぎる説明なので、場面ごとの違いを説明できない
- ラベルを貼ると理解した気持ちで止まり、条件を変える発想が出てこない
- 名前をつけたくなるのは消耗のサイン。変えられるのは場の条件のほう